下で起きたことは、
一つ上がかばう。
前回は、回復力という言葉について書きました。
体を治しているのは体であって、私がしているのは、その働きが起こりやすい条件を整えているだけだ、ということ。
では、その条件がいちばん崩れやすいのはどこなのか。
私は、足元だと考えています。
肩がこる、腰が重い、夜になっても力が抜けない。
そういうとき、たいてい目が向くのは、つらいと感じている場所です。
けれど体は、つらい場所で問題が起きているとは限りません。
今日は、症状の話ではなく、構造の話をします。
下で起きたことは、一つ上がかばう
体の構造には、ある部分の乱れを、その一つ上の部分がかばう、という見方があります。
足の骨は、末節骨、中節骨、基節骨、中足骨、足根骨という流れで積み上がっています。
指先から、足首の手前まで。
末節骨にズレが起こると、その上の中節骨が負担を引き受けやすくなります。
さらに中節骨にズレが起こると、その上の基節骨がかばう。
こうして、下で起きた問題を一つ上の骨が引き受けながら、影響は少しずつ上へと伝わっていきます。
指を一本ぶつけた。
靴が少しきつかった。
ひとつひとつは、わざわざ人に言うほどのことではないかもしれません。
ただ、その小さな乱れは消えるのではなく、上へ渡されていきます。
そしてその連鎖は、基節骨、中足骨、足根骨へと波及し、最終的にはひとつの骨へ集まっていきます。
それが、距骨です。
筋肉が、付いていない骨
距骨が重要なのは、足全体の力学的な影響が集まりやすいから、というだけではありません。
距骨は、筋肉の起始・停止を持たない、非常に珍しい骨です。
多くの骨は、筋肉が付着することで、動きや位置の安定を保っています。
動かしたいときに引っぱってもらえるし、留めておきたいときには支えてもらえる。
ところが距骨には、それがありません。
つまり距骨は、筋肉に直接引っぱられて動く骨ではなく、周囲の骨との位置関係と、上から降りてくる重さによって、位置が決まる骨だということになります。
言い換えれば、距骨は「動かす骨」ではありません。
重さが通り抜ける。
“その一点”と言ってもいいかもしれません。
すねの骨から降りてきた上半身の重さは、この小さな骨を通って、かかとと土踏まずへ渡され、地面に届きます。
逆に、地面から返ってくる力も、同じ場所を通って上へ戻っていきます。
自分の意思では動かせない。
けれど、体じゅうの重さが、必ずここを通る。
私は距骨のことを、足の運命が集まる骨だと捉えています。
末端の小さな乱れも、かばいの連鎖も、最終的にはここに集まりやすい。
しかも自分では動かせない。
だからこそ距骨は、その人の立ち方、歩き方、積み重なった癖の影響を、いちばん色濃く映す骨なのだと思っています。
重さが通る、一本の道
距骨の真ん中に重さが落ちているとき、その上には一本の線が立ち上がります。
くるぶしの真下から、膝、股関節、仙骨、背骨を通って、後頭部の下のあたりまで。
私はこれを、重力の中心軸と呼んでいます。
この線に重さが落ちていると、体を支えておくために筋肉は、ほとんど働かなくて済みます。
地面が支えてくれるからです。
ふくらはぎも、腰も、首の後ろも、力を出す必要がない。
骨と地面のあいだで重さが受け渡されていて、筋肉はその流れに添えられているだけ。
これが、私が考える「立っている」という状態です。
反対に、軸から重さが外れていると、体はそのままでは倒れます。
だから、絶えず立て直しが必要になります。
ふくらはぎが踏ん張る。
腰が引き戻す。
首の後ろが頭を吊り上げる。
あごに力が入る。
どれもごくわずかな力です。
本人には、力を入れている自覚さえありません。
けれどそれは、一日中続きます。
立て直しが続いているあいだ、体は休みにくい
ここが、このシリーズでいちばんお伝えしたいところです。
足首の奥と、後頭部のあたりは、体の傾きを脳に知らせる感覚が、とりわけ密に集まっている場所です。今どちらに傾いているか、どこに重さが乗っているか。
その情報が、絶えず上へ送られています。
軸がずれていれば、そこから上がってくるのは「まだ立て直しが必要だ」という知らせです。
そして私は、この知らせが上がり続けているあいだ、体は休む側へ切り替わりにくいのだと捉えています。
立て直しが要る状態というのは、体にとっては、まだ場面が終わっていないということです。
姿勢を保つ働きと、休息に入る働きは、どちらも本人の意思の外側で動いています。
片方が「まだだ」と言っているのに、もう片方だけが切り替わる、というわけにはいかない。
夜になっても力が抜けない。
眠ったはずなのに、倦怠感が残っている。
それを、性格の問題や、気合の問題として受け取っておられる方は少なくありません。
けれど、ただ距骨がちょうどよい場所にいなかった、それだけのことが、けっこうあります。
これは、医学的に確立した説明として申し上げているわけではありません。
私が現場で体を見てきた範囲での捉え方です。
ただ、足元(距骨の位置)が収まったあとに、ご本人が「肩の話をしていないのに肩が軽い」とおっしゃる場面は、決して少なくありません。
今、確かめてみてください
読んで納得していただくよりも、ご自分の体で一度確かめていただくほうが早いと思います。
椅子に座っておられるなら、両足の裏を、そっと床に置いてみてください。
靴は脱いだほうが、わかりやすいかもしれません。
足の指、土踏まず、かかと。
内側と外側。
どこに、重さが乗っているでしょうか。
もし、つま先のほうに寄っていたり、かかとに集まっていたり、あるいは左右で違っていたりするなら、距骨は、ちょうどよい場所にはない可能性があります。
次に、立てる場所で立ってみてください。足は腰幅くらい。
そのまま、ゆっくり前後に、ほんの少しだけ体を揺らします。
つま先に寄せて、かかとに寄せて。
そのあいだのどこかに、ふくらはぎが張らずに済む位置がありませんか。
その位置が、くるぶしの真下です。
見つかったら、そこで止まって、ひと呼吸だけ待ってみてください。
ふくらはぎが、ふっとゆるむ感じがあるでしょうか。
息が、いつもより少し下まで下りてくるでしょうか。
何も感じなくても、かまいません。
長く力を入れ続けている体は、力が抜けたことにも気づきにくくなっています。
感じないということ自体が、ひとつの手がかりです。
整うとは、重力との争いをやめること
回復力の話に戻します。
体が回復するには、休む側へ切り替わっている時間が必要です。
そして、その切り替わりは、頑張って起こすものではありません。
立て直しが要らなくなったときに、自然に起こります。
だから私は、整うということを、重力との争いをやめることだと捉えています。
重さを支えようとするのではなく、重さが通り抜けるのを邪魔しないこと。
そのための要が、あの小さな骨です。
自分では動かせない骨だからこそ、ここは他人の手が要る場所でもあります。
足元から整えるという選択
のむら整骨院では、症状のある場所だけを見るのではなく、その方の体で重さ(重心)がどう通っているかを確かめることからもみていきます。
足元が収まると、これまで踏ん張っていた場所は、自然に力を手放していきます。
長く続いている重さやこわばりがあって、どこから手をつけたものかと迷っておられるなら、一度ご相談ください。
ご自分の体で、どこがどう支えているのかを確かめていただけます。
のむら整骨院 院長 ![]()
次回・第3回「軸がずれると、息は上に上がる」
軸で支えられていない体は、別の方法で自分を支えようとします。
そのひとつが呼吸です。
浅い呼吸と呼ばれているものが、本当は何が起きている状態なのか。
次回はそこを書きます。
“病院医学”では紐解けない
痛みの正体を調律する『特別な整骨院』
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検査で「異常なし」でも、つらさは本物
自律神経の乱れを
体の反応から読み解く整骨院

院長 野村晃生(のむら あきお)
柔道整復師/臨床歴20年以上
自律神経のはたらきを軸に、
身体が安心できる『整える施術』を大切にしています。





