回復力という言葉について 【自律神経と回復力】第1回

治しているのは、誰か

このシリーズを書きはじめるにあたって、最初に、言葉の置き場所を決めておきたいと思います。

回復力。

よく使われる言葉ですし、私も普段から口にします。

ただ、この言葉が何を指しているのかを曖昧にしたまま先へ進むと、このあとの四本が、ただの体の解説になってしまいます。

だから今回は、症状の話をしません。

施術の話も、ほとんどしません。

何を回復と呼ぶのか。

そこだけを書きます。

治しているのは、誰か

まず、はっきりさせておきたいことがあります。

体を治しているのは、体です。

指を切ったとき、傷をふさいでいるのは絆創膏ではありません。

絆創膏は、傷口を汚さず、乾かさず、動かしすぎないという条件をつくっているだけです。

実際に皮膚をつないでいるのは、その下で働いている体のほうです。

骨折も同じです。

ギプスは骨をくっつけません。

骨がくっつくための条件——動かないこと、位置が揃っていること——を保っているだけで、つないでいるのは体です。

これは、医療の否定ではありません。

むしろ逆で、条件を整えるという仕事が、どれほど決定的かという話です。

位置が揃っていなければ、体がどれだけ頑張ってもうまくつながらない。

条件が整って初めて、「体の力」が働ける。

私が施術でしていることも、同じ枠の中にあります。

誤解を恐れずに言えば、私は、誰かの体を治したことは一度もありません。

していることは、その方の体が本来やろうとしていることの、邪魔になっているものを外すこと。

それだけです。

そして、この「体が本来やろうとしていること」を、私は回復力と呼んでいます。

足し算ではなく、引き算

ここが、多くの方の実感と、少しずれるところかもしれません。

体の調子が悪いとき、私たちはたいてい、何かを足そうとします。

栄養を足す。

運動を足す。

睡眠時間を足す。

ケアを足す。

もちろん、足りていないものを補うのは大事です。

ただ、足しても足しても変わらない、という時期があります。

いろいろ試しているのに、どれも決定打にならない。

そういう状態でご相談に来られる方は、少なくありません。

そういうとき、私はまず、足りていないものではなく、邪魔しているものを探します。

回復力は、鍛えて増やすものではないと考えているからです。

もともとある。

ただ、働けない状況に置かれている。

たとえば、傷がふさがるには血が巡っている必要があります。

骨がつながるにも、体が休んでいる時間が要ります。

どれだけ材料を足しても、巡っていなければ届かないし、休めていなければ使われません。

回復力を取り戻すというのは、力を増やすことではなく、働ける状態に戻すことです。

だから、このシリーズは引き算の話になります。

なぜ「自律神経と回復力」なのか

このセクションに自律神経という言葉が入っているのには、理由があります。

体が回復する働きは、私たちの意思の外側で動いています。

眠ろうと思っても眠れないことがあります。

力を抜こうと思っても抜けないことがあります。

消化を早めようと思っても、そうはならない。

回復に関わる働きは、ほとんどが意思の届かないところで進んでいます。

つまり、回復力は「やる気を出す」ことでは動かせません。

代わりに、何で動くのか。

私は、状況だと考えています。

体には、今が対応する場面なのか、それとも修復してよい場面なのか、という切り替えがあります。

追われているとき、痛みがあるとき、寒いとき、姿勢が崩れて倒れそうなとき——そういうときに体が優先するのは、その場を持たせることです。

修復はあとまわしになります。

これは体の不調ではなく、体の正しい判断です。

問題は、その場面が終わっていないと体が判断し続けているときです。

対応する場面が延々と続いていれば、修復してよい場面はいつまでも来ません。

そして体は、場面が終わったかどうかを、気分や自己申告ではなく、体そのものから届く情報で判断しています。

だから私は、回復力の話を、気持ちの持ちようの話にはしません。

構造の話にします。

このシリーズで辿ること

体が「まだ場面が終わっていない」と判断し続ける理由を、私は主に三つの場所から見ています。

ひとつは、足元。

体が重力に対してうまく立てていないと、姿勢を保つための小さな立て直しが、一日中続きます。

倒れないようにしている最中の体は、休む側へ切り替わりにくい。

次回は、この足元の話を書きます。

ふたつめは、呼吸。

軸で支えられていない体は、別の方法で自分を支えようとします。

そのひとつが呼吸です。

浅い呼吸と呼ばれているものが、実際には何が起きている状態なのか。

第3回でそこを書きます。

みっつめは、頭部。

目、あご、後頭部。

ここには、周囲を警戒するための感覚が集まっています。

ここが張り詰めたままだと、体は安全だと判断しません。

第4回はこの話です。

そして最後に、症状が消えることと、回復力が戻ることの違いについて書きます。

この二つは、同じではありません。

むしろ、ここを取り違えているせいで、長く遠回りをしておられる方がとても多いと感じています。

お断りしておきたいこと

このシリーズで書くことは、私が現場で体を見てきた中で組み立ててきた捉え方です。

医学的に確立された説明として申し上げるものではありません。

ですから、読んで納得していただくことは、あまり求めていません。

そのかわり、各回に必ず、ご自分の体でその場で確かめられることを入れます。

読んで終わりではなく、一度試してみて、何か感じるかどうかを見てみてください。

体で起きたことだけが、本当のところ信じるに値します。

ひとつだけ、今

最後に、ひとつだけ。

今、この文章を読んでおられる姿勢のまま、力が入っている場所がないか、探してみてください。

肩。

あご。

眉のあいだ。

おなか。

足の指。

どこか一箇所でも見つかったら、そこは、今この瞬間に必要のない力です。

座って文章を読むのに、あごの力は要りません。

見つけたら、抜こうとしなくてかまいません。

気づくだけで、少し変わることがあります。

そして、もし何も見つからなかったとしても、それはそれで大丈夫です。

長く力を入れ続けている体は、力が入っていること自体に気づきにくくなっています。

回復力を取り戻す作業は、たいてい、この「気づかないまま続けている力」を見つけるところから始まります。

体が休める条件を、整える

のむら整骨院では、つらい場所だけを見るのではなく、その方の体が今どういう場面に置かれているのかを確かめることから始めます。

休める条件が整えば、体は自分で戻りはじめます。

いろいろ試したけれど変わらない、という時期が続いているなら、足すものではなく、外すものを探す段階かもしれません。

ただ、邪魔になっているものというのは、たいてい自分では見えません。

長く続いている状態ほど、体はそれを当たり前として扱うようになりますし、力が入っていること自体に気づけなくなっていきます。

だから、外から見てもらう必要があります。

何かを始める前に、まず今どうなっているのかを確かめる。

そこからで大丈夫です。

一度ご相談ください。

のむら整骨院 院長 


次回・第2回「距骨と、重力の中心軸」

体が休む側へ切り替われない理由を、いちばん下から辿ります。

足の骨がひとつだけ、他とは違う特徴を持っていること。

そして、そのことが体全体の休息とどうつながっているのか。

“病院医学”では紐解けない
痛みの正体を調律する『特別な整骨院』

完全予約制|受付 10:00〜17:00(最終受付)|お電話は18:00頃まで(留守電OK・折り返します)

院長経歴

検査で「異常なし」でも、つらさは本物
自律神経の乱れを

体の反応から読み解く整骨院

院長 野村晃生(のむら あきお)
柔道整復師/臨床歴20年以上

自律神経のはたらきを軸に、
身体が安心できる『整える施術』を大切にしています。