答えのいらない問いを、持っていますか?
今日一日の、自分の行動。
患者さんと向き合っている時間。
食事をしているとき。
勉強しているとき。
仕事の進め方。
本を書いているとき。
そして、いま書いているこの文章。
そのひとつひとつに、ただ、問いを置いてみる。
「それは美しいか。」
最近、私が大切にしている言葉です。
答えは、出さない
この問いには、ひとつだけ約束ごとがあります。
それは、答えを出さないことです。
美しかったか、美しくなかったかを採点しない。
良かった、悪かったと評価しない。
うまくいったかどうかも、いったん脇に置いておく。
ただ問いを立てて、そのあとに残る余韻に、しばらく浸る。
それだけです。
判断の多い一日のなかで
私たちは一日のうちに、数えきれないほどの判断をしています。
正しいか、間違っているか。得か、損か。
効率がいいか。うまくいったか。
暮らしていくうえで、判断は欠かせません。
治療家として患者さんの体を診るときも、私は経験と知識にもとづいて、はっきりと判断します。
それは、これからも変わりません。
ただ、その判断とは別のところに、答えを求めない問いをひとつ置いておく。
私には、それがとても大事なことのように思えるのです。
問いには答えが必要だ、と私たちは考えがちです。
けれど、答えを急がないからこそ、自分の内側で静かに響きつづける問いもあるのではないでしょうか。
美しくあろうとしない
ひとつ、気をつけていることがあります。
「美しく生きなければ」と思わないことです。
そう思った途端、この問いは自分を縛る新しい決まりごとになってしまいます。
正しさや効率で自分を測っていたのが、美しさで測るようになるだけです。
人間ですから、腹が立つ日もあれば、思うように振る舞えない日もあります。
そういう自分を「美しくない」と責めるための問いではありません。
まして、ほかの人の振る舞いを裁くための問いでもありません。
美しくなろうとするのではなく、美しさを感じとる余白を、自分のなかに残しておく。
それくらいの、ささやかなものとして持っていたいと思っています。
それで何かが変わるのか
答えも出さず、評価もしない。
それで何かが変わるのか、と思われるかもしれません。
正直に言えば、私にもはっきりとは分かりません。
ただ、美しい音楽を繰り返し聴いていると、最初は聞こえなかった音の重なりや、音と音のあいだの静けさに気づくようになることがあります。
数学者の岡潔は、人の心の深いところにある「情緒」をとても大切にしました。
何に心が動き、何を美しいと感じるのか。
それは理屈で身につけるものではなく、触れつづけるなかで育っていくものなのだと、私は捉えています。
「それは美しいか」と問いつづけることも、それに近いのかもしれません。
自分の言葉づかいや、人との接し方、食事の仕方。
これまで気にもとめなかったところに、ふと何かを感じる瞬間が出てくる。
そのときも、無理に直そうとしなくていい。
ただ、気づいている。
そうした小さな気づきが重なるうちに、いつのまにか選ぶ言葉が変わっている。
そういうことも、あるのではないかと思っています。
自分を律して変えるのとは違う、自然に変わっていく道。
東洋の思想でいう「無為自然」にも、どこか通じるものを感じます。
問いつづけること、そのものが
最初は、意識して問いを立てるのでしょう。
けれど長く続けているうちに、わざわざ言葉にしなくても、自然と心が動くようになるのかもしれません。
そうなれたら、それもひとつの成熟なのだと思います。
もちろん、そこを目指す必要もありません。
問いを忘れてしまう日があっていい。
思い出したときに、また問いかければいい。
そして最近、こう思うのです。
美しく生きるために問いつづけるのではない。
問いつづけるという営みそのものが、もう、美しさにつながっているのかもしれない、と。
今日の患者さんへの対応が最善だったのか。
この文章が良い文章なのか。
それは分かりません。
それでも、今日もひとつ、問いを置いてみます。
「それは美しいか。」
答えは出さずに、その余韻を、ただ味わう。
のむら整骨院 院長 ![]()
“病院医学”では紐解けない
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検査で「異常なし」でも、つらさは本物
自律神経の乱れを
体の反応から読み解く整骨院

院長 野村晃生(のむら あきお)
柔道整復師/臨床歴20年以上
自律神経のはたらきを軸に、
身体が安心できる『整える施術』を大切にしています。





